歴史さんぽコース
★谷中歴史散歩★

谷中・根津・千駄木 / 約3.5km / 約70分
歩く順番
日暮里駅
【自動入力】天台宗護国山天王寺は、台東区谷中にある寺院です。江戸時代には富くじで知られ、目黒不動、湯島天神と並ぶ江戸の三富の一つとして多くの参詣客を集めました。境内には谷中大仏として親しまれる釈迦如来坐像があり、谷中霊園や日暮里駅にも近い寺町の重要な寺院です。天王寺は、信仰、富くじによる娯楽、谷中の行楽文化が結びついた場所であり、江戸の庶民が寺社参詣を楽しみとしていたことを伝えます。
【自動入力】寛永寺谷中霊園は、上野寛永寺に関わる墓域と、明治以降の谷中霊園の歴史が重なる墓地景観です。谷中一帯は江戸時代から寺院が集まる寺町で、寛永寺は徳川将軍家の菩提寺として大きな寺域を持ちました。明治期には寺域の一部が公営墓地として整備され、現在の谷中霊園へつながります。霊園内には徳川家ゆかりの墓所や近代の著名人墓所もあり、江戸の寺院制度、明治の墓地行政、谷中寺町の景観が重なる場所です。
【自動入力】天王寺五重塔跡地は、谷中天王寺にあった五重塔の跡です。江戸時代に建立された塔は谷中の寺町景観を代表し、幸田露伴の小説『五重塔』の題材としても知られました。しかし1957年、放火心中事件により焼失し、現在は礎石などが跡地に残ります。谷中霊園の中に残るこの場所は、失われた木造塔の記憶と、文学作品に描かれた谷中の景観を伝える史跡です。
【自動入力】観音寺の築地塀は、台東区谷中の観音寺に残る土塀です。築地塀は瓦と土を重ねて造る伝統的な塀で、谷中の寺町らしい景観を伝える文化財です。観音寺は江戸の寺町に位置し、周辺には寺院、墓地、旧町名表示が密集しています。築地塀は、戦災や都市化を経ても残る谷中の歴史的町並みを象徴する建造物です。
【自動入力】朝倉彫塑館は、彫刻家朝倉文夫の住居兼アトリエを公開する美術館です。朝倉は近代日本彫刻を代表する彫刻家の一人で、この場所で制作と後進の指導を行いました。館内には天井の高いアトリエ、住居部分、屋上庭園、五典の池を中心とする中庭が残り、制作空間と生活空間が一体になっています。建物と庭園は国の名勝に指定され、彫刻作品だけでなく、芸術家がどのような環境で制作したかを具体的に伝える貴重な施設です。
夕焼けだんだん

【自動入力】谷中銀座は、台東区谷中と荒川区西日暮里の境に近い商店街です。戦後の生活商店街の雰囲気を残し、惣菜店、菓子店、雑貨店などが並びます。入口の階段「夕やけだんだん」は、夕焼けの眺めがよいことから一般公募で名づけられました。谷中は寺町、坂、路地、古い住宅が重なる地域で、谷中銀座は観光地であると同時に、地域住民の日常の買い物の場として続いてきました。店先や屋根の猫の木彫も、谷中らしい町歩きの目印です。

【自動入力】須藤公園は、文京区千駄木にある区立公園で、旧加賀藩支藩の大聖寺藩前田家屋敷跡を利用しています。斜面地を生かし、池、滝、石組、樹木を配した庭園的な景観が特徴です。千駄木周辺は台地と谷が入り組む地形で、武家屋敷や寺院が多く置かれました。須藤公園は、江戸時代の武家地が近代以降に住宅地や公共公園へ変わったことを伝える場所です。池へ落ちる滝や高低差のある園路から、文京区の地形を体感できます。

【自動入力】文京区立森鴎外記念館は、森鴎外の旧居「観潮楼」跡に建つ文学館です。鴎外は1892年から亡くなる1922年までこの地に住み、『青年』『雁』『阿部一族』『高瀬舟』など多くの作品を執筆しました。観潮楼には文学者や知識人が集まり、近代文学・医学・官僚文化の交差する場でもありました。現在の記念館では、原稿、書簡、遺品、年譜、映像などを通じて、軍医・官僚・作家としての鴎外の多面的な活動と文京区との関係を紹介しています。
