歴史さんぽコース
上野公園の歴史コース
博物館や寺社、近代の記憶が重なる上野エリアを歩くコースです。
上野 / 約1.1km / 約25分
歩く順番

【自動入力】アメヤ横丁は、上野駅から御徒町駅にかけての高架沿いに広がる商店街です。戦後の闇市を起源とし、砂糖不足の時代に飴を売る店が多かったこと、また米軍放出品を扱う店があったことなどが名称の由来として語られます。現在も食品、衣料、雑貨、輸入品の店が密集し、戦後復興期の市場から発展した東京の商業空間を伝えています。

【自動入力】上野広小路三橋遺構は、かつて忍川に架かっていた三橋に関わる石組水路の遺構です。江戸時代、上野広小路付近では不忍池から流れる忍川を渡る場所に三つの橋が並び、将軍通行や町人の往来に使われました。平成17年(2005)の地下駐車場建設に伴う発掘で石垣や水路構造が確認され、上野広小路の地下に江戸の水路と橋の痕跡が残ることが分かりました。

彰義隊の墓は、慶応4年(1868)の上野戦争で戦死した彰義隊士を供養する墓所です。彰義隊は旧幕府側の部隊として上野寛永寺周辺に拠り、新政府軍と戦いました。墓碑は明治15年(1882)に建てられ、正面には山岡鉄舟の筆による「戦死之墓」の文字が刻まれています。明治維新の転換期に、上野が戦場となった記憶を伝える史跡です。
不忍池辯天堂は、寛永年間に寛永寺の開山である慈眼大師天海大僧正によって建立されました。天海は上野の山を京都周辺の名所になぞらえて整備し、不忍池を琵琶湖、小島を竹生島に見立てて堂を建てました。島は水野勝隆と相談して拡張され、竹生島の宝厳寺に見立てたお堂が造られました。
当初は参詣に船を利用していましたが、参詣者の増加に伴い江戸時代に橋が架けられました。1945年の空襲で周辺は焼失しましたが、お堂は1958年に再建され、1966年には児玉希望による龍の天井絵が奉納されました。
