歴史さんぽコース
弦巻川暗渠
池袋・雑司ヶ谷・音羽・関口・江戸川橋 / 約4.3km / 約85分
歩く順番
【自動入力】池袋地名ゆかりの池碑は、池袋の地名に関わる水辺の記憶を示す碑です。池袋という地名は、かつてこの地域に池や湿地があったことに由来するとされます。現在の池袋は大規模な駅前商業地として知られますが、もとは谷端川などの水系や低湿地を含む地形の中に集落がありました。この碑は、都市化によって池の姿が失われた後も、地名が土地の自然環境を記録していることを伝えます。池袋の歴史を地形から考えるための手がかりです。
経由地(行き止まり)
経由地
【自動入力】旧豊島区立雑司谷小学校跡地は、雑司が谷地域の児童教育を担った小学校の跡地です。雑司が谷は鬼子母神堂を中心に門前町として発展し、明治以降は住宅地化と市街地化が進みました。小学校は地域の子どもを受け入れるだけでなく、運動会、地域行事、災害時の避難など、町の共同体を支える施設でもありました。跡地は校舎が失われた後も、近代以降の雑司が谷で教育施設が地域の中心として機能したことを伝える場所です。
雑司ヶ谷ナス・中野中生山ナスは、江戸近郊の野菜供給地として発展した中野や雑司ヶ谷周辺にゆかりのある伝統野菜です。中野村は、江戸城築城のために青梅の成木村から石灰を運ぶ道として整備された成木往還、のちの青梅街道沿いに発展した地域といわれています。
宝暦年間(1751〜1764)には、中野村の名主・堀江家が育成したナス苗が、江戸城の本丸・西の丸・山里・吹上へ納められていました。中野周辺は武蔵野台地の西山と呼ばれた地域にあたり、そこで栽培されたナスは「山ナス」と呼ばれるようになりました。当時は早生山茄子・中生山茄子・晩生山茄子がありましたが、現在残るものは改良中生山茄子で、「中野中生山ナス」として普及しています。
また、江戸時代の初めから西山方面で多く栽培されたナスは、「山茄子」や「雑司ヶ谷茄子」とも呼ばれました。清戸坂の北側一帯には雑司ヶ谷村の畑が広がり、現在の雑司ヶ谷霊園の一部もその地域に含まれます。坂道沿いには雑司ヶ谷清戸村百姓町があり、江戸へ野菜を供給する拠点として、ナスのほか、大根、唐茄子、青菜なども生産されていました。雑司ヶ谷ナス・中野中生山ナスは、江戸の食を支えた近郊農業の歴史を伝える野菜です。
経由地
雑司が谷公園 丘の上テラス
小倉屋製菓

【自動入力】自噴井戸は、清土鬼子母神堂の近くに残る湧水に関わる井戸です。地下水が自然に湧き出す自噴井は、上水道が整う以前の生活用水や信仰の場と結びつきました。雑司が谷・目白台周辺は台地と低地が接する地形で、湧水が出やすい場所があります。この井戸は、鬼子母神像出現の伝承地に近い水環境を示し、地域の信仰が土地の地形や水と切り離せないことを伝えます。現在の市街地では見えにくい地下水の存在を知る手がかりです。
【自動入力】清土鬼子母神堂は、雑司ヶ谷鬼子母神堂に祀られる鬼子母神像が出現した場所と伝わる堂です。伝承では、永禄4年(1561年)に清土で鬼子母神像が掘り出され、のちに雑司ヶ谷の鬼子母神堂へ祀られました。この堂は、その信仰の起点を示す場所として大切にされています。雑司ヶ谷鬼子母神堂が参詣地として発展した背景には、像の出現地である清土との関係があり、両方をたどることで鬼子母神信仰が地域に根づいた経緯を具体的に理解できます。