歴史さんぽコース
高輪~北品川
品川駅(高輪口)から御殿山を通って北品川まで歩くルートです。
高輪・御殿山・北品川 / 約2.8km / 約60分
歩く順番
品川駅
高輪南町児童遊園
【自動入力】三菱開東閣は、旧岩崎家高輪別邸をもとにした三菱グループの迎賓施設です。ジョサイア・コンドル設計の洋館を中心に、明治から大正期の財閥の迎賓文化と邸宅建築を伝えます。高輪の高台に広い敷地を持ち、一般公開は限られますが、三菱財閥と近代東京の上流住宅地を象徴する建物です。
江戸時代前期、第3代将軍・徳川家光の時代、この付近には将軍家の別邸「品川御殿」が建てられました。品川御殿は重陽の会や茶会、鷹狩りの際の休息などに利用されましたが、1702年に焼失しました。
この通りは、将軍が品川御殿へ向かう際に通った道筋と考えられています。1943年に作成された地図には「御成道」と記されており、宅地造成が行われた際にこの名称が付けられた可能性があります。
この建物は東京ガス会長、日本航空会長、帝都高速度交通営団総裁などを務めた実業家・原邦造の私邸として建てられたものです。邸宅は、東京国立博物館本館や銀座の和光本館を設計した建築家・渡辺仁が手がけ、1938年に完成しました。戦後はGHQに接収され、その後は荒廃していましたが、原邦造の孫にあたる原俊夫が建物を再生し、1979年に原美術館として開館しました(2021年に閉館)。
ここはもともと西郷隆盛の弟・西郷従道の邸宅地でした。1892年、実業家の原六郎がこの土地を買い取り邸宅を構えました。原六郎は原邦造の養父です。
御殿山は、東海道最初の宿場である品川宿を見下ろす丘陵地です。1636年に将軍の休憩所「品川御殿」が築かれ、徳川家光が鷹狩りや茶会の際に利用しました。長府藩主・毛利秀元が開いた「御殿山大茶会」も知られています。「御殿山」の名はこれらに由来するといわれています。
品川御殿は1702年の火災で焼失しましたが、第8代将軍・徳川吉宗の時代に桜が植えられると、御殿山は花見や潮干狩りを楽しむ江戸庶民の行楽地となり、浮世絵にも数多く描かれました。
幕末には品川台場建設のため山の一部が切り崩され、1862年に建てられた英国公使館も攘夷派の襲撃で焼失しました。さらに1872年の鉄道開通によって地域は東西に分かれ、御殿山の景観は大きく変化しました。
【自動入力】御殿山英国公使館跡は、幕末に英国公使館の建設が進められた場所です。1863年、攘夷派の長州藩士らが建設中の公使館を焼き討ちし、御殿山事件として知られる外交問題になりました。高杉晋作らが関わった事件で、開国後の江戸で外国公使館の設置が大きな政治的緊張を生んでいたことを示す史跡です。
権現山公園
【自動入力】旧日向佐土原藩島津家抱屋敷跡は、江戸時代に佐土原藩島津家が所有した屋敷地に関わる史跡です。抱屋敷は大名が公的な上屋敷などとは別に取得した屋敷で、別邸、物資置場、避難場所などに使われました。旧品川宿周辺に各藩の屋敷が置かれていたことを示し、宿場町と武家地が近接した江戸南部の土地利用を伝えます。