歴史さんぽコース
新宿御苑の外縁一周

新宿御苑の外縁を一周するコースです。新宿御苑の中には入りません。
新宿御苑・千駄ヶ谷・内藤町 / 約3.9km / 約80分
歩く順番
【自動入力】新井白石終えんの地は、江戸時代中期の儒学者・政治家新井白石が晩年を過ごした屋敷跡を示す史跡です。新宿区の文化財資料では、白石は六代将軍徳川家宣、七代将軍徳川家継に仕え、正徳の治で貨幣改鋳、朝鮮通信使待遇、外交儀礼の見直しなどに関わった人物として紹介されています。将軍家宣の死後は政治の中心から退き、この地で著述に力を注ぎました。自伝『折たく柴の記』や歴史書『読史余論』などを残し、近世日本の政治思想と歴史研究に大きな足跡を残した場所です。
千駄ヶ谷駅

正門は、新宿御苑の東端部の外苑西通り沿いにあります。新宿御苑が皇室苑地であった時代に、皇室や国内外の賓客のための入園門として設けられました。現在の新宿御苑は国民公園として一般公開されており、新宿門、大木戸門、千駄ヶ谷門の3か所が入園門として利用されています。そのため、正門は現在は使用されていません。
【自動入力】伝・沖田総司逝去の地は、新選組一番隊組長沖田総司が最期を迎えたと伝わる千駄ヶ谷周辺の地点です。沖田は試衛館以来の近藤勇門下で、幕末の京都で新選組隊士として活動しましたが、肺結核を患い江戸へ戻りました。逝去地には複数の説があり、千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅で療養中に亡くなったという伝承が広く知られます。史実の確定には慎重さが必要ですが、この地点は幕末動乱で活躍した若い剣士の終焉伝承を伝える場所です。
【自動入力】鉛筆の碑は、新宿区内藤町の内藤児童遊園にある国産鉛筆製造の記念碑です。新宿観光振興協会は、後の三菱鉛筆創業者である眞崎仁六が、明治20年(1887)に第3回パリ万博で見た鉛筆の実用性に感銘を受け、眞崎鉛筆製造所を創業して国産化に取り組んだと紹介しています。碑文資料では、この地が眞崎鉛筆製造所を興し鉛筆の製造を始めたところと説明されています。日本の文具産業の出発点を示す産業史の記念碑です。

四谷大木戸跡
江戸の西口にあたる甲州街道の関門跡です。玉川上水は羽村から約43キロメートルを流れて四谷大木戸に至り、ここから江戸市中へ配水されました。江戸時代には街道を監視する木戸と、水番所を含む上水管理の拠点が置かれ、交通と水道の両面で重要な場所でした。新宿方面へ向かう甲州街道、内藤新宿、玉川上水が交わる地点で、江戸の都市境界と生活インフラを同時に示す史跡です。
玉川上水水番所跡
玉川上水の水を江戸市中へ送るために設けられた管理施設です。玉川上水は、承応2年(1653)から翌年にかけて羽村から四谷大木戸まで開削され、そこから先は石樋や木樋によって江戸城や市中へ分配されました。水番屋は、上水が地上の水路である開渠から暗渠へ移る分岐点に置かれ、水番人が昼夜交代で水位を測り、水門を開閉して水量を調整していました。また、余った水や濁った水は南方へ分水して渋谷川へ流し、分岐点の横には芥留が置かれて、砂やごみが地下水路へ入らないよう工夫されていました。江戸中期以降、水番人は上水の見回り役も兼ね、代田村から四谷大木戸までの流路を監視しました。四谷大木戸水番屋は、江戸の暮らしを支えた玉川上水の管理と、水道技術の歴史を伝える場所です。
旧門衛所(旧新宿門衛所、旧大木戸門衛所)は1927年に建てられた門衛所です。外観には和洋折衷の意匠が取り入れられ、「自然の中に立つ建物」をデザインコンセプトとして設計されました。当時の独特なデザイン性を伝える建物であり、新宿御苑の歴史的・景観的価値を示す建造物として評価されています。
旧門衛所(旧新宿門衛所、旧大木戸門衛所)は1927年に建てられた門衛所です。外観には和洋折衷の意匠が取り入れられ、「自然の中に立つ建物」をデザインコンセプトとして設計されました。当時の独特なデザイン性を伝える建物であり、新宿御苑の歴史的・景観的価値を示す建造物として評価されています。
