歴史さんぽコース
南平台~青葉台コース
渋谷区南平台、目黒区青葉台の豪邸エリアを歩くコースです。有名な政治家が住んでいたことで知られています。
南平台・青葉台 / 約2.3km / 約50分
歩く順番

【自動入力】旧五島プラネタリウム投影機は、かつて渋谷駅前の東急文化会館にあった五島プラネタリウムで使われた投影機です。同館は1957年に開館し、2001年の閉館まで天文教育と都市の娯楽文化を支えました。投影機は、渋谷が商業だけでなく科学普及の場でもあったことを伝える資料です。
この場所には、かつて統一教会、現在の世界平和統一家庭連合の日本本部がありました。現在、日本本部は松濤1丁目へ移転しています。隣接地には1960年代、元内閣総理大臣の岸信介が暮らし、その後は歌手・俳優の高峰三枝子が住んでいました。高峰は「歌う映画スター」の草分けとされ、1950年に映画『情熱のルムバ』の出演料をもとに、西郷隆盛の次男・西郷午次郎の長男である隆一が所有していた南平台町の土地約500坪を購入しました。
1960年に岸信介が内閣総理大臣を退任すると、高峰から借りていた土地の一部と、複数の邸宅のうち首相公邸として使用していた建物を返却しました。1964年に宗教法人として認可された統一教会は、その土地へ日本本部を移転し、かつて首相公邸として使われた建物を本部として利用しました。このため、教団本部と岸の私邸が隣り合う形となりました。
「クリーン三木」と呼ばれた第66代内閣総理大臣、三木武夫がかつて私邸として使用していた建物です。現在は「南平台倶楽部」として、三木武夫・睦子夫妻の志を継ぐシンクタンクや交流の場としての役割を担っています。かつては記念館として一般公開されていた時期もあり、戦後政治の重要な決定が行われた歴史の舞台としての重みと、当時の邸宅建築の趣を今も色濃く残しています。
「ビルマの竪琴」や「東京オリンピック」などで知られる巨匠・市川崑(こん)(1915-2008)監督が、50年にわたり創作の拠点とした旧宅の一部を公開している記念室です。映画ファンにとっては聖地のような場所となっています。市川監督はスタッフから「南平台」という愛称で呼ばれるほどこの地に深く根付いていました。

【自動入力】菅刈公園は、旧西郷従道邸の敷地の一部を整備した目黒区立公園です。西郷従道は明治政府で海軍卿・内務大臣などを務めた政治家・軍人で、広大な邸宅をこの地に構えました。公園には日本庭園や復元展示施設があり、西郷山公園とあわせて、明治期の高台邸宅地の広がりを伝えます。
西郷山公園の一帯は、明治初めに西郷隆盛の弟・西郷従道が、郷里鹿児島に帰った兄・隆盛の再起を願って入手した土地でした。隆盛が没した後、従道はこの地に別邸を造り、約6万平方メートルの敷地には洋館や和館、池のある回遊式庭園が整えられました。いつしか人々は、この一帯を「西郷山」と呼ぶようになりました。
旧西郷邸の一部はのちに目黒区が公園用地として取得し、鹿児島県や県下十四市からは、西郷ゆかりの地であることを記念して約200本の樹木が寄贈されました。これらは公園北側に「鹿児島記念樹コーナー」として植えられています。西郷山公園は、多くの人が利用できるよう整備され、西郷家ゆかりの歴史と地域の憩いの場として親しまれています。

日本のチェーンストア理論の先駆者であり、「ペガサスクラブ」を主宰した渥美俊一氏の功績を称える資料館です。氏が収集した膨大な蔵書や経営に関する資料が保管されており、日本の小売業界の近代化を支えた思想の根源に触れることができます。