歴史さんぽコース
駒込~巣鴨
駒込駅から巣鴨駅まで、ソメイヨシノのもとになった染井エリアを歩く散歩コースです。
駒込・巣鴨 / 約1.9km / 約40分
歩く順番

JR山手線を跨ぐ形で本郷通り(国道17号)が通る跨線橋です。初代の橋は1903年(明治36年)に架橋され、現在の橋は1991年に架け替えられたものです。現在は親柱や当時の美しい鋳鉄製欄干が駅前広場に保存されています。大正から昭和初期にかけて架けられた旧橋の欄干には、「ソメイヨシノ発祥の地」である駒込にちなんで、桜の花と富士山のデザインが施されていました。

`御祭神は日本武尊、高御産霊神、神功皇后、応神天皇です。『新編武蔵風土記稿』では、652年に白鳥社として創建された区内最古の神社とされます。1439年には今井茂義が社殿を再興し、太田道灌が度々戦勝祈願を行ったことから「戦勝の宮」として信仰されました。関東大震災後に再建されましたが、1945年の空襲で焼失しました。戦後は氏子らの協力で復興し、2020年には災害時の避難所機能を備えた造営事業が完成しました。`

聖書を唯一の土台とする正統的なプロテスタントのキリスト教団体です。アメリカに本部を置く世界最大のペンテコステ派「アッセンブリーズ・オブ・ゴッド」の日本における教団で、ここが日本の本部です。
聖書の言葉を誤りのない神の言葉と信じ、特に聖霊のバプテスマ(聖霊降臨)や癒やしといった聖霊の働きを重視しています。1913年に宣教師が来日し伝道を開始。戦後、1949年に現在の教団としての組織を形成しました。教職者の育成機関として「中央聖書神学校」を保有しています。

丹羽家に残されていた記録から、昭和十一年(一九三六)に建てられたことが分かっています。もともとは主屋の北側に木造二階建ての蔵が建っていましたが、八代目茂右衛門が、九代目の結婚の際に主屋の増築とあわせて、鉄筋コンクリート造りのこの蔵に建て直しました。国登録有形文化財(建造物)となっています。
蔵は出入り口を東側に設け、増築した六畳間と廊下で主屋とつながっていました。出入り口の観音開きの鉄製扉の内側に家紋(五三桐)が付いています。また扉上部と両脇の柱に大理石が貼られるなど、装飾に気が配られている点が注目されます。
外壁は、昭和初期の土蔵や店舗などに多く用いられた工法である、モルタル下地に大理石の砕石粒洗出し仕上げになっています。また外壁の腰巻、水切り、雨押え、鉢巻などの細部や、窓の庇の銅板葺きなどに職人の丁寧な仕事ぶりがうかがえます。
蔵の内部は、地下に収納庫を設け、床板には檜板を用い、壁はモルタル下地に漆喰塗りで仕上げています。特に一階の天井や梁(はり)化粧面取りなどに当時の左官技術がよく表れており、意匠的にも優れています。
このように、旧丹羽家蔵は、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造でありながらも、細部には職人の技術や建築主のこだわりが見られます。建築後七〇年以上が経過していますが、昭和初期の建築当時の姿を残しています。
多くの文豪や芸術家が眠る「染井霊園」のすぐ傍らには、三菱財閥の礎を築いた初代総帥・岩崎弥太郎の墓所があります。かつては霊園内にありましたが、現在は南東側に隣接する私有地(岩崎家専用墓地)へと移されました。周辺一帯はかつて三菱が所有していた土地であり、今も社宅などの関連施設が残るゆかりの深いエリアです。墓所自体は非公開のため一般参拝はできませんが、歴史が息づく駒込・巣鴨エリアの散策スポットとして、外観からその重厚な歴史の面影を偲ぶことができます。
このあたりは伊勢国津藩主藤堂和泉守家(初代藤堂高虎)の抱屋敷の一部でしたが。1769年に幕府御用林となり、1798年頃に幕府に仕えた本草家・渋江長伯(しぶえちょうはく)が管理する薬園となりました。
江戸時代は幕府主導のもと薬園制度が整備され「小石川薬園」や「駒場薬園」などが知られています。
渋江長伯が1799年に薬草調査のため虻夷地へ出かけたことから、この巣鴨薬園は「蝦夷薬園」とも呼ばれていました。1794年には日本で初めて綿羊を飼育し、羅紗織(厚手の毛織物)の試作を行ったともされています。
明治維新後、薬園は廃止されて、1937年に東京市中央卸売市場豊島分場が開設され現在にいたります。

【自動入力】曹洞宗萬頂山高岩寺は、巣鴨地蔵通り商店街にある寺院で、「とげぬき地蔵尊」の名で広く知られます。本尊は延命地蔵菩薩で、江戸時代に病の治癒に霊験があったと伝わる御影が信仰を集めました。境内の洗い観音は、自分の体の悪い部分に対応する場所を洗う参拝で有名です。高岩寺は1891年に上野から現在地へ移転し、巣鴨の参詣文化と地蔵通り商店街の形成に大きく関わりました。高齢者の参拝地として知られる巣鴨の中心的寺院です。