歴史さんぽコース
★神楽坂歴史散歩★
神楽坂 / 約3km / 約65分
歩く順番
飯田橋駅(外堀の説明板)

【自動入力】牛込見附跡は、江戸城外堀に設けられた牛込門と枡形の跡です。寛永13年(1636)の外堀完成に合わせて整備され、牛込方面から江戸城へ入る要所として機能しました。見附は番兵が置かれて人の出入りを監視する城門で、防御だけでなく交通管理の役割も担いました。現在はJR飯田橋駅西口近くの牛込橋周辺に石垣や外堀の景観が残り、駅前の都市空間の中で江戸城外郭の構造を確認できる場所です。

神楽坂の「芸者小道」(別名:熱海湯階段)は、見番横丁と小栗通りを結ぶ全長20〜30メートルほどの急な階段道です。かつて神楽坂の芸者衆がお座敷へ向かうために行き来していたことからその名が付けられた、花街の情緒を色濃く残すスポットです。急な階段と石畳の小道の両脇に和モダンな飲食店が立ち並び、テレビドラマや映画のロケ地としてもよく使われるます。階段の上には東京神楽坂組合の稽古場である「神楽坂検番」があります。検番とは芸者屋を管理する事務所で、芸者への取次ぎや勘定などを行うところです。
鎮護山善国寺(ぜんこくじ)は1595年(文禄4年)に徳川家康公を開基とし、日惺上人によって日本橋馬喰町に創建された日蓮宗の寺院です。その後、火災による移転を経て、1792年(寛政4年)に現在の神楽坂の地へ移りました。
本尊の毘沙門天は仏教の守護神である「四天王」の北方を守護する武神であり、「多聞天(たもんてん)」とも呼ばれます。江戸時代から「神楽坂の毘沙門さま」として親しまれ、商売繁昌や勝運、開運厄除のご利益があることで広く知られています。
毘沙門天(善國寺)前にある風情ある石畳の路地です。敷石が扇状に広がっており、その様子が酔っ払った足どりに似ていることから名付けられたと言われています。

兵庫横丁は、神楽坂に残る石畳と黒板塀の美しい路地です。名称は、戦国時代にこの一帯へ牛込城の武器庫を意味する「兵庫」が置かれていたことに由来すると伝わります。
車が入りにくい狭い路地には、料亭や名店が並び、神楽坂らしい静かな風情が残されています。その景観は新宿区まちなみ景観賞を受賞しました。また、かつては多くの文人や文化人が滞在し、作品を生み出した老舗旅館「和可菜」があったことでも知られています。

「お忍びで遊びに来たお偉いさんを後ろから尾行してきても、この横丁に入られると曲がりくねっていて姿が見えなくなる(わからなくなる)」という逸話が由来とされています。車が通れないほど細く入り組んだ路地に、黒板塀と美しい石畳が続いています。まさに迷路のような造りが隠れ家的な雰囲気を醸し出しています。数々のドラマの舞台にもなった小道です。
かくれんぼ横丁と隣り合う、神楽坂の仲通りから本多横丁へと抜ける細い路地です。その昔、芸者衆がお座敷の掛け持ちをする際に、表通りを避けて素早く移動するための「抜け道(新道)」として利用していたことから名付けられました。:花街華やかりし頃の芸者たちの往来が偲ばれる風情があります。一本裏に入ることで、静かでタイムスリップしたかのような情緒を味わうことができます。
寺内公園一帯には、鎌倉時代末から行元寺があり、千手観音像は太田道灌や牛込氏らの信仰を集めました。門前の兵庫町は、3代将軍徳川家光の鷹狩りの際に肴を献上したことから、後に肴町と呼ばれました。
1857年頃、境内東側の細い路地周辺に遊興の場が生まれ、神楽坂の花柳界の発祥地になったと伝わります。行元寺は1907年に西五反田へ移転しましたが、跡地は「寺内」と呼ばれ、文士や芸能人にも親しまれました。夏目漱石も『硝子戸の中』で、この地で遊んだ思い出を記しています。現在の公園は、高層マンション建設に伴う区道の付け替えによって整備されました。

筑土八幡神社は、嵯峨天皇の時代に創建されたと伝わる古社で、応神天皇・神功皇后・仲哀天皇を祀ります。約1200年前、牛込に住む翁の夢に八幡神が現れ、白い鳩が止まった神木を祀ったことが始まりとされています。
伝教大師が筑紫の宇佐神宮の土を神像の礎に用いたことから、「筑土八幡神社」と呼ばれるようになりました。境内には1726年建立の区内最古級の鳥居や、太陽・月・桃・二匹の猿を刻んだ庚申塔が残り、厄除け、勝運、安産、子育ての神として信仰されています。

【自動入力】赤城神社は、新宿区赤城元町にある神社です。公式サイトは、正安2年(1300)に上野国赤城山麓の大胡彦太郎重治が牛込に移住し、赤城神社を勧請したことに始まると伝えています。現在の社殿は建築家・隈研吾の監修で再生され、古くからの牛込総鎮守の信仰と、現代建築による都市神社の再生が重なる場所です。
細い路地

光照寺一帯は、戦国時代に牛込地域を支配した牛込氏の城館跡です。牛込氏は上野国大胡を本拠とした大胡氏の一族で、15世紀末に武蔵国へ進出し、北条氏に従いました。1526年には牛込に定住し、1555年に牛込姓を名乗ることを認められ、日比谷周辺まで領有しました。
城館の規模や構造は不明ですが、居住を中心とした館だったと考えられています。1590年の北条氏滅亡後、牛込氏は徳川家康に従って幕臣となり、城は取り壊されました。現在の光照寺は1645年に神田から移転したもので、境内には諸国旅人供養碑などの文化財があります。

神楽坂若宮八幡神社は、1189年に源頼朝が奥州征伐の戦勝を祈願し、平定後に鎌倉の鶴岡八幡宮若宮を勧請したことに始まると伝わります。御祭神は仁徳天皇と応神天皇です。
室町時代の文明年間には太田道灌が再興し、江戸城鎮護の社として崇敬されました。武将とのゆかりから、出世開運、勝負運、厄除けの神として信仰されています。また、境内から聞こえる神楽の音が周辺に響いたことが、「神楽坂」の地名の由来になったという説もあります。
