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歴史さんぽコース

日本のいちばん長い日

映画や書籍で知られる『日本のいちばん長い日』の関連場所を歩くコースです。日本がポツダム宣言受諾を国民に知らせる直前の緊迫した時間を描いた作品です。

皇居周辺 / 約4.9km / 約100分

地図を読み込み中です。

歩く順番

1

ほうそうきねんひ

放送記念碑

放送記念碑

【自動入力】放送記念碑は、かつて日比谷公園内にあったNHK東京放送会館の跡地を示す碑です。東京放送会館は昭和13年(1938)に完成し、ラジオ放送の制作・送出の中心施設として使われました。戦時下には放送が国家の情報伝達や宣伝に大きな役割を持ち、戦後は公共放送として再編されました。日比谷公園の碑は、放送メディアが新聞や映画と並ぶ大衆的情報手段となり、東京の中心部から社会へ発信された歴史を伝えます。

2

きゅうだいいちせいめいかん(でぃーえぬたわー21)

旧第一生命館(DNタワー21)(1933 / 1938 / 1993)

旧第一生命館(DNタワー21)(1933 / 1938 / 1993)

【自動入力】旧第一生命館は、現在の第一生命日比谷ファーストに保存・継承される昭和初期のオフィス建築です。昭和13年(1938)に渡辺仁・松本与作の設計で建てられ、石張りの重厚な外観と古典主義的な意匠を備えます。戦後は連合国軍総司令部に接収され、ダグラス・マッカーサー総司令官室が置かれました。現在も総司令官室が保存され、保険会社の本社建築であると同時に、占領期日本の政治・行政の中心となった近代史上重要な建物です。

3

にじゅうばし

二重橋(正門石橋)

二重橋(正門石橋)

二重橋は、皇居正門前の濠に架かる橋として広く知られる景観です。一般には手前の正門石橋と奥の正門鉄橋を含めて二重橋と呼ぶことが多いですが、厳密には奥の正門鉄橋が二重橋とされます。江戸城西の丸下の濠と石垣、明治以降の皇居正門整備が重なり、皇居外苑を代表する眺めになっています。近世城郭の構造が、近代国家の象徴的景観へ変化したことを示す場所です。

4

そとさくらだもん

外桜田門

外桜田門

外桜田門は、国指定重要文化財です。桜田の名は、この地が古代に桜田郷と呼ばれていたことに由来し、江戸の主要道が通る場所でした。徳川家康入国直後の絵図には「小田原口」と記されています。

門周辺の石垣は、1614年に真壁藩主・浅野長重によって築かれ、門は寛永年間に建築されました。周辺には有力な外様大名の屋敷が多く置かれていました。

1860年には、彦根藩主で大老の井伊直弼が登城中に水戸浪士に襲撃された「桜田門外の変」が起きています。1923年の関東大震災で門は被害を受けましたが、その後再建され、現在に至っています。

5

はんぞうもんかいせつばん

半蔵門 解説板

半蔵門は、江戸城内郭門の一つで、「こうじまち口」とも呼ばれ、四谷門とともに甲州街道の要衝となっていました。名前の由来には、伊賀者の服部半蔵がこのあたりに配下とともに屋敷を拝領していたという説があります。また、この門から城内に入る山王祭礼の象の山車が枡形門をくぐることができず、半分だけしか入らなかったという説もあります。

門は1620年に、仙台藩主・伊達政宗ほか6名の東国大名によって築造されました。江戸時代には、半蔵門から入り北へ進み、現在の代官町通りを通って竹橋門へ抜けることができました。

1871年に渡櫓門は撤去され、現在は高麗門だけが残り、皇室の皇居への通用門として使用されています。

6

ちどりがふちこうしゃきかんほうだいざあと

千鳥ヶ淵高射機関砲台座跡

千鳥ヶ淵高射機関砲台座跡

【自動入力】千鳥ヶ淵高射機関砲台座跡は、太平洋戦争期に東京の防空のため設けられた高射機関砲の台座跡です。皇居北西の千鳥ヶ淵周辺は、首都中枢を空襲から守る防空拠点の一部として利用されました。高射機関砲は低空で飛来する航空機に対応する兵器で、東京空襲が現実化する中で配置されました。現在の緑地や濠の景観の中に、戦時下の首都防衛体制を示す遺構が残る点が重要です。

7

きゅうこのえしだんしれいぶちょうしゃ

旧近衛師団司令部庁舎

旧近衛師団司令部庁舎

この建物は、近衛師団司令部庁舎として明治43(1910)年3月に竣工したもので、設計者は陸軍技師田村鎮と考えられています。第二次世界大戦後は皇宮警察の寮として使用されましたが、昭和38(1963)年の北の丸地区の森林公園整備計画策定に伴い、取り壊されることになりました。

しかしながら、この建物は明治時代の官庁建築の特徴をよく残すものとして現存する数少ない遺構であるため、その建築的価値を惜しむ声が寄せられ、重要文化財に指定された上で東京国立近代美術館工芸館として活用することが決定されました。

昭和48(1973)年から、美術館施設として活用するための保存修理工事が行われました。煉瓦壁体には破損が見られたため、内側に新たに鉄筋コンクリートの構造体を設けて補強するとともに、屋根を関東大震災後の桟瓦葺から建築当初のスレート葺に復原し、取り壊されていた軒蛇腹を整備するなど、創建当初の外観に復しました。内部は、保存状態の良かった中央の階段回りとホールの部分のみ当時の姿を残し、建築家谷口吉郎氏の設計により美術館仕様に改修しました。

工芸館は昭和52(1977)年11月に開館し、政府機能移転基本方針により令和2(2020)年10月に石川県金沢市へ移転するまでの間、ここで活動していました。現在この建物については、今後の保存活用のために重要文化財保存活用計画を策定しています。

煉瓦造りのゴシック様式の外観のほか、床下通風口の金具、玄関アーチ両脇の四葉飾り、破風(ペディメント)の頂華(フィニアル)、大棟中央塔屋のデザインなどを見ることができます。

(注)近衛師団は、旧陸軍が北海道から九州までの主要都市に設置した19の師団のうちの一つで、明治時代から第二次世界大戦終了時まで皇室の警護を担っていました。

8

このえほへいだいにれんたいあときねんひ

近衛歩兵第二聯隊跡記念碑

近衛歩兵第二聯隊跡記念碑

近衛歩兵第二聯隊は、明治7年1月23日、日本陸軍最初の歩兵聯隊として創設されました。

明治天皇より軍旗を親授されて以来、昭和20年大東亜戦争の終結に至るまで、70余年の間この地に駐屯して日夜皇居の守護に任じました。

この間、明治10年西南の役、ついで日清、日露の各戦役に出戦し、さらに昭和には、日支事変で南支、仏印へ出征し、輝かしい勲功を残しました。

近衛兵は毎年全国から選抜された、優秀な壮丁を以って編成されていました。

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