歴史さんぽコース
皇居一般参観

皇居は、明治天皇以降、今の天皇陛下までの歴代の天皇のおすまいです。皇居内には、御所を始め、天皇陛下の御公務や諸儀式の場である宮殿、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)以来の歴代の皇后が引き継いでいらっしゃる御養蚕のための施設である紅葉山御養蚕所、宮内庁庁舎などの建物があり、また、庭園として一般に公開されている皇居東御苑もあります。
皇居 / 約2.1km / 約45分
歩く順番

内桜田門(桔梗門)は、江戸城本丸南口の通用門で、本丸へ向かう際には大手門と並ぶ登城の門でした。門の警護は、6~7万石の譜代大名が担当していました。
内桜田門は、外桜田門に対する呼称ですが、江戸時代から桔梗門という別称も用いられていました。門は1614年に造られ、桔梗濠沿いの石垣は1620年に造築されました。現在も、手前の高麗門と右手の渡櫓門からなる枡形門が残っています。

大正10年(1921年)に完成、現在の国会議事堂のモデルになった建物と言われています。当時近世復興式と呼ばれた鉄筋コンクリート2階建ての建物で、広さは約1,740平方メートルあります。

富士見櫓は、明暦3年(1657年)の大火で焼失した2年後の万治2年(1659年)に再建されたもので、江戸城の本丸の建物の中で現存する貴重な遺構となっています。高さ約16メートルの美しいシルエットを見せる三重の櫓は、どこから見ても同じ形に見えるため八方正面の櫓とも呼ばれていました。大正12年(1923年)には関東大震災の被害を受けましたが修復されて現在に至っています。また、優美な曲線を描いている石垣は、自然石の割石を多く用いているのが特徴であり、積み方は初期の打ち込みはぎです。

昭和10年(1935年)に建築された建物で、庁舎3階は、昭和27年(1952年)に改装され、昭和43年(1968年)の宮殿落成までの間、仮宮殿として使用されていました。

新年(1月2日)及び天皇誕生日の一般参賀は、この広場で行われています。天皇皇后両陛下・皇族方は、この広場から見える長和殿中央バルコニーにお出ましになり国民からのお祝いを直接お受けになります。その際、天皇陛下からのお言葉があります。

二重橋は、皇居正門周辺を代表する橋の通称です。奥に見える正門鉄橋は、かつて木橋の構造が二重に見えたことから二重橋の名で呼ばれるようになったとされます。手前の正門石橋と混同されることも多いですが、二つの橋が濠と石垣の景観を形づくっています。皇居外苑から見る二重橋は、江戸城西の丸下の防御施設が、明治以降に皇居正門の儀礼的景観へ転用されたことを示します。

宮殿は、昭和43年(1968年)に完成した鉄骨鉄筋コンクリート造りの地上2階、地下1階の建物です。入母屋造りの大屋根と柱・梁で構成される日本古来の建築美がいかされており、その建築資材のほとんどは国産のものが使われています。宮殿は、その中心をなす正殿(せいでん)、豊明殿(ほうめいでん)、長和殿(ちょうわでん)、連翠(れんすい)、千草(ちぐさ)、千鳥(ちどり)の間など7つの棟から構成されています。現在の宮殿は、天皇皇后両陛下のお住まいになるところではなく、国賓等の接伴や国の公の儀式・行事などに使われています。
江戸城本丸に築かれた長屋造りの防衛・武器庫施設です。1659年に建てられたとみられるこの建物は、江戸城本丸に15棟あった多聞の中で唯一現存している極めて貴重な歴史的建造物です。「多聞(多聞櫓)」とは、城郭の石垣や土塁の上に建てられた長屋状の建物のことです。防壁の役割を果たすと同時に、武器や弓矢、武具などの収蔵庫としても使用されました。名前に「富士見」と付いている通り、かつては建物から遠く富士山を望むことができた景勝地に位置していたことに由来しています。



